事実上の最終日。
ところが、本当は途中で降りるべきだったのだろうが、終点のオホーツク海岸まで連れていかれた。
吹きすさぶ風のほかは何もない。
薄着で雨にも濡れ、ちょっと寒い。かなり歩いたところに集落はあったが、カフェはなくマガジンが2軒のみ。ピロシキ、チョコレート、ビスケットで腹を満たした。
帰りのバスは15:00までない。それまでここで過ごすのでは、時間も体力もロスが大きすぎる。
ヒッチハイクで戻るしなかいと考え、大通りを時折通る車に手を上げる。トヨタの小型セダンがやっと停まってくれた。穏やかで親切そうな年配の男性。「私は日本人です。ロシア語わかりません」とだけロシア語で伝えると、ああそうかと笑い、あとは黙ってドライブしてくれた。丁寧な運転にも人柄が現れていた。
例のショッピングモールが途中にあるので、そこで降ろしてもらった。サハリンの人へのおみやげにと思って持ってきた扇子を初めてプレゼントした。男性は「いやそんなつもりじゃ」と遠慮したが、私の気持ちだからというふうに渡して別れた。
二度目のショッピングモール。やはりここは便利で落ち着ける。
フードコートでこんどは韓国料理をためす。
キムチチゲとロシア語で書いてある。360ルーブル。味は日本とはやや違うがおいしい。ただし辛い。キムチは日本のものほど酸っぱくない。ごはんはかため。
バスで市内に戻る。図書館と美術館をめぐる。図書館でうろうろしていたら、係員に呼び止められ、こちらが日本人らしいとわかると、別の人を呼んできた。アリョーナさんという女性(アジア系に見える)。サハリン国立大学附属経済東洋学大学というところを卒業して2年という。この図書館にある英語センターに勤務し、そこの日本語資料コーナーも担当している。インターネットを使わせてもらい、ロンドン五輪の閉会式でポール・マッカートニーが「ヘイ・ジュード」を歌ったことを知る。
そのあと昔ながらのショッピングセンターと近くの自由市場を覗いた。いずれも垢抜けなかった。
ショッピングセンターは国営デパート的な雰囲気が濃厚。
自由市場も、かつては活気があったのだろうが、今では人も少なくまがい物ばかりが並んでいそうな感じだった。
部屋に戻って一眠り。
そのあとバスで栄光広場という所に出向く。日本時代ここは神社だったという(樺太神社)。
ナショナリズムの不可避性について考えながら歩く。私が日本人でないなら一体なにものなのかと。
中心街にある有名な日本食レストランへ。
カツ丼を食べた。
ユジノサハリンスク、最後の夜。
【take it easy】