迷 宮 旅 行 記

長距離のバス待つ君の人生はさておき旅はまだ先がある

サハリン〈第4日〉

ユジノサハリンスクからの列車→ノグリキ】


目が覚めたのは6時ごろだったか。窓の外は明るい。また通路の席にすわり車窓を眺めた。

樹林や草原が続くばかり。針葉樹の割合が増えた気もする。(この寝台列車は北の島サハリンを一直線に北上しノグリキに向かっている)


8時ごろ停車した駅では大勢が降りた。

地球の歩き方によればティモスクという駅。30分ほど停車。私もホームに出て写真を撮った。車輪を撮ろうとしたら女性乗務員に怒られた。


終点ノグリキ到着は9時45分ごろ。

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まだ一つ手前の駅と勘違いし、のんびり荷造りしていたら、別の女性乗務員に早くしろと怒られた(また怒られた)


ノグリキは雨もよう(この日はずっと降り続いた)。

小さな駅舎を出るとワゴンなどのタクシーが停車している。


道路を挟んで商店が少し並んぶ。食堂があったので入った。

ピロシキ、ピラフ、人参を刻んだサラダ、紅茶を食す。

ピロシキがうまい。中身はキャベツとジャガイモ。その2つのロシア語をこの店で学習した。ピラフは中央アジアで食べたものに似ている。人参は予想どおりニンニクがきつい。ユジノサハリンスクのスーパーでもそうだったが、サハリンではコリアン系の食べ物が惣菜の一角を占めている。

店でトイレを借りるとき、子どもを連れた女性が英語で場所を教えてくれた。通訳の仕事をしているという。「BP」と聞こえたのでブリティッシュ・ペトロリアムのことか。昨日は日本人も来ていたという。間宮林蔵の研究者だとか。

この食堂は店員もにこやかで居心地がよかった。食べ物もいろいろあった。別の客が食べていたのはラグマンだろう(ウイグルの具をかけたスパゲッティ的なうどん)


さて雨はやまない。予約してあるクバンホテルまでタクシーを使うことにした。

未舗装の路は雨でひどくぬかるんでいた。距離も思ったより遠かった。相乗りだったのに150ルーブル(ボラれたか)


クバンホテル。他に人家がないところに立木に囲まれて漠然と建っている。木造の2階屋。

まったく静かで出入りの人もいないので無人の時間かと心配したが、女性2人が迎えてくれた。泊り客もかなりいることが、あとでわかった。


それにしても、「奇妙な」という形容がぴったりのホテルだ。

全体に手作り感がある。この女性たちの趣味なのだろうか、壁も床も花柄がやけに多い。しかもなんだか厚ぼったく、冬の寒さがしのばれる。


リビング、食道、売店



2階の部屋までだいぶ歩かされた。途中廊下が鍵の手になっていたり突き当りに大きな鏡があったり。

映画『シャイニング』を思い出した。


部屋の中も花柄だらけ。


さらにどう考えてもヘンなのは、隣接する棟で多種の動物を飼っていることだ。


サル、ウサギ、ネズミ、鳥類。空っぽの檻も目立つのがなんとなく不気味。


洗濯しようと風呂場に行ったら、サウナだった。

(夏は使わないのかと思っていたら、夜になるとバッチリ稼働したので、驚いた)4日分の衣服を手洗いし部屋に干した。


午後をだいぶ回ってから外出。

クバンホテルから町の中心まで軽便鉄道の線路を歩くとよい、と「歩き方」にあったので、そうしたが、雨のため足元がどんどん濡れていく。(…と思っていたが、軽便鉄道の線路はすでになく私が歩いたのは別の線路だったようだ)


線路から離れ住宅が並ぶ一角に入ったが、泥道なので同じく大変だった。

ワゴン車のタクシーが近づいてきたので乗った。町までまだかなりあった。


ノグリキの町。



タクシーを降りたあたりに、図書館みたいな建物があり、なんとインターネットが使えた。


Gmailで日本語のメールは読めたが、日本語の入力はできないのでローマ字のメールを送った。


雨は降り止まない。町の外れにある郷土博物館まで歩いた。もうスニーカーは完全にぐしょぐしょ。

郷土博物館には、たまたま通りにいた青年が、日本人とわかるとなぜかとても喜び、連れていってくれた。

入場の時も口をきいてくれたので、学芸員らしき男性がわざわざ出迎えてくれたうえ、他にまったく人のいない館内を大張り切りで案内し展示物の説明もしてくれた。


しかし、悲しいことにロシア語がまったくわからない。男性も青年もニコニコ顔を絶やさずかわるがわる話をしてくれるので、申し訳ない気持でいっぱいだった。

地元の子供の美術作品も飾ってあった。スプートニクをあしらっていて、へえと思った。


青年はそのあともノグリキの町を案内してくれた。文化ホール、ショッピングセンター、マガジン(ロシアのコンビニ)。そしてロシア教会。

女性2人の聖歌がきれいに響いていた。


地元の人とのこうした触れ合いは、旅のなによりの宝なのだが、この日はとにかく足元がぐっしょりなのと長袖シャツ1枚で少し寒いのと、言葉がなかなか通じないのとで、青年の親切に十分応じることができなかった。申し訳ない。


帰りは客待ちしていたタクシーに乗る。女性ドライバーの小型車。

メモに150ルーブルと書いたら、わざわざ120と書きなおした。正直者だ。


クバンホテルに戻ると泊り客がたくさんいた。石油開発にかかわる労務のために長期滞在しているようだ。日中は現場に出ていたのだろう。そのうちの1人イワンという男が親しげに話しかけてきた。

5人で泊まっている部屋に招いてウオッカをすすめてくれた。

今度こそしっかりコミュニケーションしようと思ったのだが、やはり言葉の壁は大きい。「石油の仕事ですか」ということを質問することすらできない。男がキルギス出身だということはわかったので、「へえ、昔旅行したことあるよ」と伝えた(でもどうやって伝えたのだっけ?)


夕食。まあうまいんだけど冷めていた。そういうものか。

で、けっこう高くて389ルーブル。そういうものか。


サウナに入った。先客のロシア人たちが、葉っぱを体に叩きつけながらエクスタシーとも評すべき声をあげているのが、扉越しに聞こえてくる。だから私も見よう見まねでやってみた。


そんなふうにして夜はすぐに更けていった。雨は降りやまず。洗濯物は生乾き。日記を書き、リチャード・パワーズの『舞踏会へ向かう三人の農夫』の続きを読んだ。


ノグリキの郷土博物館では、ニブヒなどの原住民の習俗に触れられた。トナカイのそり、弓矢、狐革の衣服と靴、住居模型などなど。チェーホフがギリヤークのことを書いていると、『1Q84』でふかえりが言っていたのを思い出す。知識や興味や理解とはそのように散乱しつつ集積していくものなのではないか。

旅行とは一体何のためか実はよくわからないのだけれど、体全体のサイズで体験して得たものがそれまでの体験を散乱させそして新たに集積していく営みにはなっていく。

いろんなものを見てきた、と思う。旅行で、人生で。でも「いろんなもの」といっても抽象的な物を見てはいない。具体的なあれとこれとあれとこれとあれとこれだ。しかし、そのように具体的な物によって私の世界像も世界観も作られている。それ以外のものは私の頭の中にもともと何も入っていなかったのだから。

それにしても、サハリンは原住民の系譜が今もあまり意識されていないという点でも、近代のロシアと日本のせめぎ合いという点でも、非常に興味深い土地ということになる。アイヌの歴史なども私はほとんど知らないのだが。








【So no good-byes for one just passing through,
 But one who'll always think of you.】