【グラ・フモールルイ→シゲット・マルマツィエイ】
午前中、雨だったので、フモール修道院を見に行くのはやめた。
[:600]
部屋とベランダでゆっくり過ごす。
主に読書。『世界史』(マクニール)で、キリスト教誕生のころの話、および、ギリシャ正教がいかにして普及したかの話。昨日直に見聞きしたことの背景を探す読書だったから、簡潔な解説であっても、とても深く実感できた。この本はやはり素晴らしい。
さらに、ジュリアン・バーンズ『終わりの感覚』を読み始めた。これがまた素晴らしい小説。テーマは人生の時間とでもいうべきものであり、そして年をとるという話であり、過去を回想する話でもある。
雨がやまないので宿にタクシーを頼んだら、夫が家の車で送ってくれた。宿をとりしきっているらしい奥さんは、たぶん、ここが実家で、この人は養子だろう。小さな娘が一人いて、朝、われわれと一緒に朝ごはんを食べていた。
グラフモール・ルイ駅。
駅の前のスーパーで、車内で食べる食糧の買い出し。
ポテトチップ、ピーナツ、パン、スライスチーズ、ハム、りんごなど。ハム売り場の女性は英語を話し、スライスしてくれた。
きょうは列車でシゲット・マルマツィエイというところまで行く。
ルーマニア北端の山間部を東から西に移動する形。
ルーマニアの実年男女が同席だった。
天気はわりとすぐに回復。山間の景色やなだらかな起伏の風景のなかを、列車は進んでいった。
通路の窓から写真を撮っていたら、隣にいた男性が話しかけてきた。娘が大学生で日本語を勉強しているという。しかも村上春樹(あるいは村上龍だったか?)が好きで、スコットランド(?)に講演かなにかで来たときに聞きに行ったそうだ。その娘は高校時代にはフランス語と英語、大学では日本語とロシア語を学んでいるらしい。将来は小説を書きたいのかもしれないみたいだった。男性の職業がじつに変わっていて、森のなかに入って楽器(ギターやバイオリン)に良い木材を見つけることだという。そのマネジメントの会社を経営している。楽器をヨーロッパなどに輸出するルーマニアの会社(名前をメモした)と取引していて、そこに木材が行くらしい。その技術を身につけるために、何年か会社に勤めたという。またアメリカに4年ほどいて、そうした仕事をしていたようだ。年収を聞いたらびっくり、100000ドルというではないか。「人生で一番大事なものは?」と聞いたら、「仕事」と答えた。それを通じて人生が築けて成長していける、といった趣旨。男性はまもなく下車。駅に自家用車を停めてありそれで帰宅するとのことだった。メールアドレスを聞いた。
男性が降りてしばらくして、サルバ駅に到着。ここで乗り換える。
列車は目の前にあり、すぐに乗り込んだ。
駅員にサルバまでの切符を見せたら、「わかった」というふうにコンパートメントを指定して座らせてくれた。なぜか切符を買えとは言われず、降りる直前に呼ばれ、切符を買った。
サルバに降りる少し前にコンパートメントに座った別の男性とは、『指差しルーマニア会話』の本を使って少し話した。列車の連結の仕事をしているとかで47歳だった。ルーマニアのおいしい食べ物が何かなど教えてもらった。「あなたは何がいちばん好きか」と質問して答えてもらった。メモしたところによれば、料理は(1)サルマーレ(2)snitei(3)魚。チョルバ(スープ)は(1)periscorp(2)魚(3)野菜。
サルバからのルートは完全に山の中だった。太陽がずっと差し続け、なかなか沈まない。いったん消えたかと思うと、山の脇からまた顔を出す。
しかしとうとう日は落ちた。
車内のライトはほとんど役に立たないレベル。持ってきた手元のライトで、無理やり本を読む。なお、ときおりトンネルを通ったが、そのときは車内は完全に真っ暗になるので、焦った。
この列車で同席したのはルーマニア人の母娘。娘が先に降りていった。ごくわずか会話したところ、孫が4人いるという。降りていった娘はまだ女学生くらいに若いので、別の娘の子供だろう。息子もいるって言ったっけ?
とっぷりくれてシゲット・マルマツィエイ駅に到着。夜汽車の風情。
駅舎も駅前も予想と大きく違って小さく寂しい。
人通りの絶えた暗い道を、荷物を引きながら、とぼとぼとホテルまで歩いた。ルーマニアは噂ほど危険はないということがだんだんわかってきて、まあ気は楽だった。
22時半すぎ。ホテルのそばに来ても、飲食店などはほぼ閉まっている。
どうにかホテルを見つけたが無人。
係の男性がただ出てきて、鍵を渡してくれた。
しかし建物や部屋は落ち着いていてゆったりしていて素晴らしい。バスタブもある
【take it easy】