迷 宮 旅 行 記

長距離のバス待つ君の人生はさておき旅はまだ先がある

海南島〈第5日〉

【三亜→五指山】


朝はゆっくり起きた。きょうも良い天気。暑い。


朝食バイキング。英語を話す女性係員がいて、昨日も食べた麺について教えてくれた。「抱罗粉」(パオロウフェン)というらしい。小エビでだしをとるとのこと。抱羅粉。

海南島独特のもののようだ。ここでは温かいスープだったが、後日冷麺も食べた。(http://baike.baidu.com/view/155426.htm


それにしても、中国の人の破格的にのびのびとした行動は、毎度ながら壮観。皿と箸を手にして食べながら料理を取りに行き食べながら戻って来たり。戻っても来なくて立ったまま食べていたり、そのまま人と話していたり。私のテーブルまで黙ってやってきてテッシュ箱にティッシュが残っていないか黙ってさぐって黙って去って行ったり。周囲に人がいても好きなだけ大声で喋るのにもびっくりするが、他の人がそうしていても一向に気にならないらしいのにもびっくりする。(日本の人に似て控えめに振る舞う人もたまにはいる)

これぞ文化や習慣の違いだろうが、こうした傾向はいつの時代に形成されたのだろう。


さて、日課のコーヒーを飲み、荷造りし、ホテルを出た。市街地まで路線バス。きょうも混んでいる。


長距離バスターミナル。


五指山行きは何本もあるが、私たちは13時に出発。バスの等級は「高一」。一番前の席なので眺めがよい。冷房が効いて足元も広い。

乗務員は大柄と小柄の男2人。小柄の男がハンドルを握ったが、きょうは見習い運転のようで、大柄の男から指導を受けている。2人のやりとりがなにかと可笑しかった。


ヤシの樹林、畑や水田などを左右に眺めながら、バスは進んだ。苗族の文化を観光できる集落もあった。



今回、海南島に2週間も滞在するが、海ばかりでは飽きるだろうと、島の真ん中の山のほうまで行くことにしたのだ。三亜や海口という都市名も知らなかったのだから、五指山という町や山のことは、なおさら知らなかった。

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その五指山市のバスターミナルに、15時30分、到着。


すぐそばの小吃(個人経営の小さな食堂)に入った。残念ながらこれまでで一番みすぼらしい食事となった。鶏肉、青菜、ビーフン炒め、ごはん、スープ。2人で20元ほど。


町を囲んでいる大きな川に沿い、キャリーバッグを引きずってホテルまで歩いた。グーグルの地図を印刷して持ってきたのが役にたった。


五指山旅游山庄。中国に昔よくあった国営っぽい造形と運営の宿だった。

民族衣装を来た女性がフロントで迎えてくれた。

http://www.wzsresort.net/


長い渡り廊下を進んだところに宿泊棟があった。人が少ないようなので、ベランダの眺めが良い部屋にしてもらった。落ちついた室内には、大きなベッド、籐を使ったテーブルや椅子、クローゼットと家具は申し分ない。浴室にはバスタブあり。





往年の中国宿らしく、土地を贅沢に使い建物も妙な形に広がっている。庭やプールもある。


近郊の観光地についてフロントに尋ねたところ、水満郷というところを教えてくれた。あす30日は雨、31日は晴れとの予報なので、31日に出かけることに決めた。


夜、食事をかねて街に出た。大きな2つの橋や川沿いの路には中国風の電飾が点いていた。


街は小さく全体的に暗い。でも賑わっていた。


カジュアルなイメージの飲食店に入り、台湾式滷肉飯、籠仔肉飯という名の定食を頼んだ。どちらもまあうまかった。計51元。


スーパーに入って水など買う。


露店で、すももか梅かというかんじの果物を買ってみた(最初は小さなリンゴかと思った)


帰りに川沿いを歩くと、アパートが建ち並び、どこまでも続く軒下にはテーブルと椅子が並べてあり、憩いの場になっている。ごったがえす人々。将棋・トランプ・酒盛り・おしゃべりと、思い思いに宵のひとときを過ごしていた。

逆にアパートの窓は電気がついているところが少ない。毎晩こんなふうなのだろうか。それとも土曜だからか。あるいは年末だからか。


ホテルに帰り、入浴、読書(安部公房『他人の顔』)、日記、インターネット(有線ラン)。わりとすぐに眠くなった。





















【多少銭?】