迷 宮 旅 行 記

長距離のバス待つ君の人生はさておき旅はまだ先がある

張家界・福建土楼〈第6日〉

厦門福建土楼


朝食。


土楼は永定県という辺鄙なところにあるが、厦門から路線バスが出ている。今日はそれに朝から乗り込む。


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厦門の街は南国らしく華やいでいる。ここまでの中国とは違って上品でもある。


バスターミナル。


ところが土楼行きの大型バスは、座席は粗末でリクライニングや手すりも壊れている。ああ中国。乗客もやかましかった。きのう空港から市街地まで乗ったリムジンとは大違い。

バスは高速道路をぐんぐん進んだが、途中からは山を越えるルート。狭く険しい路がかなり長かった。しかし予定どおり4時間で到着した。


バス亭に降りると、すぐ声をかけてきたのが宿を経営している李さん。バイク運転の李さん(親戚)も一緒。「飯はどうだ」とうながされるまま、目の前に建ち並ぶ宿の一軒に入った。背包客駅站(バックパッカー・ステーション)と名がついている。(以下 ◎印の写真はクリックで拡大)

1階のテーブルでまず食事。

二人とも悪い感じはなく食事もうまい。それならばと、ここで3日間の宿泊と土楼をめぐる観光ツアーをまとめて頼むことにした。


そもそも土楼とは?

福建土楼(ふっけんどろう)とは、中国福建省南西部の山岳地域にある、客家その他の人々による独特の版築建築物。客家土楼(はっかどろう)ともいう。12世紀から20世紀にかけて建てられたものがほとんどである。土楼は通常、外部立ち入り禁止の大きな建物で、長方形か円形をしており、厚い土壁(180センチ以上)と木の骨格から成り、高さは3階か5階、80家族以上が生活している》

=以上 Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E5%BB%BA%E5%9C%9F%E6%A5%BC より=


永定県には土楼が数多く散在している。永定土楼民俗文化村として整備されたエリアもあり宿も集まっている。

ここだけの日帰り客も多いが、有名な土楼はまだたくさんある。

私たちは主だったところを3日間で巡る計画だ。


見どころの1つ南渓というところは、今日のうちに行くことになった。明日からは車を使うが、南渓はそう遠くないのでバイクだ。

巨漢の李さんの後ろに二人がまたがった。


まず環極楼へ(土楼はみな固有名をもち壁にも記されている)

中に入り上の層に上がって一望。

お堂が中心にあることが多い。


環極楼は、最初に見学したせいもあろうが、飽きるほど見た土楼のうち最も気に入った1つになった。旅行前に読んだブログでも評判が良かった。

住んでいる人たちが入り口付近で日向ぼっこしており、素朴に温かく迎えてくれたように感じられた。

右のおばあさんは『地球の歩き方』の口絵に写真が載っている人だった。

それまで知らなかったのだろうか、「へえ〜」と驚き、他のおばあさんと一緒になって、ひとしきり本に見入っていた。




衍香楼。ここもとてもよかった。







火事で崩壊した土楼が近くにあった。


この石段を登り……

実佳土楼群を眺めた。


運転手の李さんは商売上手ではないが人なつっこい。土楼に一緒に入り少しガイドもしてくれた。しかし石段に登るのはイヤだといい下で待っていた。待っているところを上から見たら英語を勉強していた。

それで時々うれしそうに英単語を言うが、こちらの英語は聞き取れない。

衍香楼の近くでは屋根のある橋のところに連れていってくれた。



そのとき子犬がいたので、後で「犬は好きか」と英語で聞いてみたのだが、やはり返事をしない。中国語で伝えると「嫌い」ときっぱり。猫はどうだと聞くとやはり「嫌い」。「でもウサギは好きだ」と言う。食べる場合の話だった。


このほか振福楼という土楼を外観だけ見た。


宿に戻った。4階の一室に泊まることにした。広くバルコニーもあって見晴らしが良い。


その部屋から環興楼という土楼が見える(上記「土楼とは」の写真)。ドライバーの李さんはそこに住んでいる。奥さんと子どもと一緒。しかも、宿を経営する李さんがそこの楼主だと後からわかった。それで、この宿に泊まってもいいし環興楼の一室に泊まってもいいという話だったので、とりあえず見に行ったが、土楼の部屋はあまり居心地がよく思えなかったので、やめた。


さてもう日が暮れてきた。しかし文化村を見る時間は今日しかないのではと思いこみ(実はそんなことはなかった)、チケットを買って見学してきた。

よく知られているのが振成楼。

中にいた爺さんが「10元出せ、そして3階に上がれ」とうるさい。渋るとすぐ5元に下がった。じゃあと思って上がったら、今度は「もうとっとと降りろ」と命令する。非常にいやな感じだった。


もう1つメインは福裕楼。入り口がわかりにくかったが、真っ暗ななか、どうにかたどりついた。


毛沢東記念館というのがあり、真っ暗だったが入った。マグライトで展示物を照らしながら回った。


ようやく夜飯。


部屋は掃除がしてないようで、砂ぼこりがたまっていたり、引き出しのゴミも捨ててないなど、中国式が濃厚だったが、シャワーも浴びられるしベッドも大きいし、まあどうにか安らぐことができた。












【没有没?】